冒険心を砕かれた話 〜電車編〜 |
子供の頃、誰にでも訪れる冒険がありました。 今考えるとその冒険方法が問題だたのです。 私の住んでいたところはJR(B駅)が市内の中心を通っていたため、身近に電車を感じていました。 そんなある日曜日、小学校1年生だった私は 隣のY駅から地元のE駅まで電車にのってみようと思ったのです 子供ならいつかはやってくる一人冒険です。 学校が終わり”てくてく”と隣のY駅まで歩いていきました(歩いたときのことはよく覚えていません) Y駅からE駅までは乗車時間3分弱の時間です。確か初乗りが子供40円くらいだったと思います。 私は意気揚揚とキップを買い求め2番ホームで電車が来るのをイスに座って待ってました、 青色で4個並んでいるプラスチックのイスはちょっとヒンヤリしていて気持ちよかった記憶があります、 10分も待ってなかったと思いますが1人で電車を待つ気持ちは6歳の僕にはたまらなく大人になった気分でした。 ホームの横の踏み切りの音がし始めました、私は小声で”いよいよきたな!”とつぶやきました。 茶色の電車がホームに入ってきたときに”わ〜近くで見るとでかいな”と感じながら、走ってる電車の扉を目で追ってました。 扉が開き電車の中に足を踏み入れると ど真ん中に銀色のポールがたっていて そのポールにつかまり軽く1週しました、 床は木で出来ていて、いままで嗅いだことの無い匂いがしました 私は真っ先に青緑のイスのど真ん中に行き 立ちひざで外の景色を見ながらいく事にしました。 電車の扉が閉まると少しだけ静かで違った空気になり、そして太陽の光でとても暖かくなりました。 私は景色を見ながら歩いてきた道をながめていました、すると見慣れた踏み切りが次々と見えてきました ”お〜、お〜”と 感心しているまもなく E駅、荒ちょ家側の踏み切りも見えました。 と思ったら電車はE駅を通りすごして商店街側の踏み切りも過ぎていきました あれれ?? 私はパニックになりました ”なんで止まらないんだ???” そんな私の気持ちも知らずに電車はどんどん走っていき外を見ると ”あ!630団地前の踏み切りだ”このままだとM駅まで行ってしまいます。 M駅は多摩川を渡る前の最後の駅です、多摩川を渡ってしまったら最後だと思った私はよけいあたふたしました。 ”あ!電車がスピードをゆるめた!”電車はM駅のすぐ手前まで来ていたのです。 私はM駅で迷わず降りました(どきどき)。俺はこの先どうすれば・・・・・ 私の目に反対方向から来る電車が飛び込んだのです。あ!そうか!戻ればいいんだ!! 私は あわてて反対側のホームに行きましたがその電車には乗れませんでした。 仕方が無いので青いプラスチックのイスに座って待つことにしました、その時座っていたイスは色あせた青に感じました。 しばらくすると踏み切りの音が聞こえました ふ〜助かった〜と思ったのもつかの間、 電車が来たのは反対側の多摩川を渡ってしまう電車でした ”なんだよ〜”とおもっているそばからE駅行きの電車が来たのです。 私は早く家に帰らないと〜と思いながら電車の中に入りました 今度は座らずに立ったままでE駅を向かえることにしたのです。 しばらくすると630団地前の見慣れた光景が見えてきました 次で降りなきゃ!!と心に刻み込み E駅商店街側の踏み切りが見えてきたときです 電車のスピードが一向に落ちません あららららぁ〜 すぐに荒ちょ側の踏み切りが見えたのです E駅には止まりませんでした。今に例えると信じられない99連発の76あたりです。 Y駅に戻ってきてしまいました Y駅で降りてすぐに反対側のホームにE駅行きが来ていました 私はまたまたダッシュでいきましたが間に合わず、またまた電車待ちになってしまいました、 私は寂しくなって涙が出るのを我慢してましたが 我慢すればするほど寂しくなりました もう泣いちゃうと思った瞬間電車が来たのです 私はギリギリ泣かないですみました。 今度こそ今度こそE駅で止まって欲しいと願いながら電車の中でハラハラドキドキしていました。 しばらくすると荒ちょ側踏切が見えてきて 電車は私にも分かるくらい減速し始めて止まる気配をかんじました、間違いない! これはE駅で止まると確信した瞬間涙が溢れ出しそうになりました、でも我慢しました。 扉が開き 小走りでキップをだして改札をでた瞬間に いままで我慢してきた涙が滝のように出てきました。 でも駅前なので声は出さないように泣いてました。 あ〜やっとついた〜そのときの気持ちは長い間田舎に帰ってない出稼ぎの中のお父さんと同じだったに違いありません。 その後、私は中学生になり2駅隣の塾にいく年齢になるまでの6年間は電車に乗れませんでした なぜなら電車に乗ると行きたい駅に止まらないような気がしてしょうがなかったからです。 幼い私の冒険心は嫌な思い出と共に電車と言う形で今も心の中に残っています。 余談ですが中学生の時に彼女と横浜にデートに行くときもちょっと心配でした。 実は最近鉄道マニアの方にすごい話を聞きました 当時のE駅は通過する電車が一日に何本かあったらしいです この年になって 初めて肩の荷が降りたきがしました。 |
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