ちょっといい話
輝いてた日々編


その日は珍しく暖かな日でした。
郵便局の赤いオートバイが自宅の前に止まり郵便をポストにいれていきました。
郵便の中身を見てみると 成人式と思われる女性のハガキが1枚ありました。 
宛名をみると私宛になっていました、”はて?” 差出人を見てみると 聞いたこともない名前。 
”間違いかな?”と思いながらも差出人の住所に目をやると、東京でした しかも 私の生まれ育った地元ではありませんか!。
はてさてどなたかな? と思いつつも文面に目をやると 縦書きでこんなふうに書いてありました。
「拝啓、私10年前に交通事故で助けるていただいた 娘の母親でございます。その節は本当にありがとうございました。
娘も無事成人致しました・・・中略・・・」  
私は「え??」  思い出せなかった理由は二つありました 
@着物を着ていた写真の子はとても綺麗で どうみてもピチピチギャル(ピチピチギャルとは無関係)。 
A交通事故は何度も 手助けをしているので検討もつかなかった。 
ん〜〜・・・・成人式の子が・・・10年前・・・・交通事故・・・・地元・・・
あ!!わかった! あの
赤いランドセルの子だ!
その時の事は良く覚えてます。               

私の田舎の家は 目の前に小学校がありました もちろん家の前は通学路だったのです 
しかしそこの間には当時 出来たばかりの信号機の無い交差点(国道)があり 裏道として使う人がほとんどでした 
交通量もまばらでスピードを出す人が多かったのです。  
そんなある日 車庫でバイクを整備していると
”ギィーーーーー”と言う急ブレーキの音が聞こえました 
私が反射的に音の方を見たとたん”ッドンッ”と 子供が跳ねられました。
すぐに走っていき子供をみると 頭から血を流し、
左腕も反対方向に向いていて ピクリともしませんでした。 
私は
「うわぁ〜これは死んだな・・・」と 思いつつも「誰か救急車〜と叫びました」 
私はヤジウマのおばちゃん達からハンカチをもらい集め女の子の止血をしました。
赤いランドセルを脱がせて あお向けに寝かせましたが血がドバドバ出てきます 
誰かがバスタオルを持ってきたので止血に使いました。
残りのタオルで首にしき気道を確保したのち心臓マッサージをしました(我ながらいけてる対応) 
すると女の子が意識を取り戻し”おか〜さんおか〜さん”と泣きだしました。 
友達とおもわれる女の子達も泣いてるのが耳に入ってきました。 
すると救急車の音が聞こえてきます 私はどっちから来るのかとあたりを見回すと ま〜スッゴイヤジウマでした。
女の子は救急隊員に運ばれて病院にいきました。

私は跳ねた車の方に目を向けてびっくりコカコーラの配達車のフロント部分がベッコリへこんでました。
うわぁ〜すげーと思わず声をだしてしまったのを覚えています。 
しばらくすると警察が来て私を見るなり 強い口調でいいました
「あなたが運転手さん?車検書と免許証もってこっちきて!」 
俺は違うって!! 
服装見れば分かるだろっ  そこで初めて全身を見てびっくり!! なんと血だらけだったのです。
手についてたのは知ってたのですが ここまでとは・・・・
おそらく抱きかかえた時にべっとりと・・・・とほほ。
その後 着替えたのち 現場検証にまで立ち合わされました。   

後で聞いたのですが女の子は無事助かったそうです ケガの方も腕の骨折と頭を十数針ぬっただけだったそうです。
1週間後地元の消防署から
迅速な対応だった事に対し表彰を受けました。      


しかしなぜ私は テキパキとレスキュー隊員のように出来たのでしょうか?   
実は あの事故の1週間前にたまたま 120日免停の講習を受講したばかりだったのです 
免停経験のない人の為に言いますと「30日」「60日」などはゲームの説明みたいなものです  
しかし「90日」「120日」となると受講人数もすくなくて
教官もチンピラみたいになってきます 
なかでも講習の時に見るVTRもかなり内容が変わってきます 「下手なホラー映画なんか相手にもならないくらいおっかないです」。 
その講習のなかで”運転者には負傷者を介護する義務がある”というVTRで 
止血・意識の確認・気道確保・心臓マッサージなどの応急手当が紹介されていました。 
峠で四六時中事故の経験をしているせいも有りますが やはり免停VTRの記憶がありありと残っていたのが
幸いしたと思いました。  
でも免停の講習が役に立ったなどど かっちょ悪くて 誰にも言えませんでした。

成人式を迎えた子は あの時小学校の高学年と言っていたので辻褄があいます。
しかしあの時の女の子が成人したなんてちょっとだけ胸が「じ〜ん」ときました。  
ハガキの文面から察するにお母さんがハガキを書いたのは 娘さんには秘密のようでした 
私もお母さんに 当時の詳細な事を書きました
娘さんには、免停中でどこも行けなかった事を秘密にしておいてもらいました。


  免停のおかげで女の子が助かったんだから 
             まんざら免停も わるくなかったのかな。




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