週の初めは日曜か月曜か?の話
昔からの疑問


の初めは日本では日曜です。
ただビジネスダイアリーなどの中には仕事が月曜から始まるからということで、月曜日を先頭にしているものもあります。
しかし週という制度としての先頭はあくまで日曜です。


■週の概念の発生 週という概念のルーツは古代バビロニアで生まれたとされています。
古代バビロニアでは、BC17〜18世紀頃に太陰暦の7日目・14日目・21日目・28日目に祭祀を行っていたという記録が
残っています。つまり、上弦・満月・下弦・月末にお祭りをしていたわけです。              
ところがこういう祭祀の仕方をするには、正確に
暦の計算ができていなければなりません。ところがそれだけの天文計算
技術を持っていない周辺の国では、それができないため、月の実際の月齢とは無関係に単純に7日周期で繰り返す「週」
というものが生まれたとされます。  

        
この週をシステマティックに構成したのはエジプトです。エジプトでは土曜を週の先頭とし、金曜を週の最後とするシステム
が生まれました。ここでエジプトではこの週を水星・金星・火星・木星・土星の五惑星と太陽・月の7つの星に割り当てるこ
とを考えました。          

当時この7つの星は地球から遠い順に並べると、土星・木星・火星・太陽・金星・水星・月の順だと考えられ、そしてこれら
の星が1時間交替で時を管理すると考えられました。          

そこで週の第1日目の第1時を土星が管理したら、第2時は木星、第3時は火星・・・・となって、第21時が月、第22時が
土星、第23時が木星、第24時が火星となり、第2日目の第1時は太陽の担当になります。                

同様にしていくと、週の各日の第1時の担当は次のようになります。  
第一日第1時 土星  
第二日第1時 太陽  
第三日第1時 月  
第四日第1時 火星  
第五日第1時 水星  
第六日第1時 木星  
第七日第1時 金星
          

ここから古代エジプトでは週の各日に固有名詞が付くようになりました。これが現在の曜日の名称の起源であるわけです。
ところで、このエジプトの影響でユダヤでも週が導入されることになるのですが、この時、ユダヤでは、エジプト人が週の
先頭として大事にしている土曜日をわざと週のおしりに回して、エジプトの週の第2日である日曜日を先頭にしてしまいま
した。           

これはユダヤ人はエジプトで強制労働をさせられており、モーゼ(BC13世紀)に率いられてそこから脱出した訳ですが、
その怨みがあるので、わざとエジプト人の大事にしているものをおとしめてやろうと最後に回したのだと言われています。
             
■安息日の発生 ところがモーゼの時代はそういうことで、日曜から始まり土曜で終わる週がユダヤ社会で使われ始めた
のですが、遙か後にBC6世紀頃になって現在の聖書に見られるような世界創成神話が形成されますと、週は神が世界を
7日間で作ったからであるという話に変化してしまいます。そして神は7日目にはお休みになったので、第7日である土曜
日は労働は休んで神に祈りを捧げる日としようということになり「安息日」の風習が生まれます。              

ところがユダヤ教の改革運動からキリスト教が生まれますと、キリスト教徒は日曜日がキリスト復活の日であるため、こ
れを神聖視し、週の最初の日である日曜日に仕事を休んで教会でお祈りをするようになりました。このため土曜日はそ
の分働くことになり、同じ週の体系を使っていてもユダヤ教徒とは違う休日制度になってしまいました。          

なおイスラム教徒は金曜日が安息日になっています。この安息日の違いは、イスラム教徒・ユダヤ教徒・キリスト教徒が
ぶつかり合う中東の地では結構問題になっているようです。       
なお、イスラム教・ユダヤ教の1日はキリスト教の暦でいうところの前日の日没から始まり、その日の日没で終わります。
安息日には安らかに過ごさなければならないことになっていますので、オリンピックなどに出てきてたまたま試合の日が
安息日にぶつかってしまい、泣く泣く棄権する選手などもあるようです。             

■日本における週 週というシステムは中東領域で広く普及していましたが、8世紀になって、インドから中国に帰化した
不空三蔵という人が、宿曜経という占星術の書を書くのですが、この本の中で西方の習慣としてこの週の概念を紹介し
ました。そして各国での週の呼び名の対応表を添付するのですが、そこに参考までにとして、惑星の名前の中国名も付
記しました。           

この宿曜経は執筆された40年後、日本の空海が唐に留学した折りに入手し、日本に持ち込みました。するとこの週につ
いて、これを読んだ当時の陰陽寮の誰かが興味を持ったようです。そして、不空の宿曜経に添付されていた、惑星の中
国名をもとに、蜜・月・火・水・木・金・土 という一週間の名称を作成し、公式の暦に掲載するようになりました。

これを七曜星と呼び、昔は現在の六曜のように、各曜日ごとの吉凶などが説かれていたようです。この時点では別に日
曜日(当時は蜜)は休日にするというわけではありませんでした。狩猟文化の西洋とは違い農業文化の日本では、そん
なに頻繁に労働を休むことはできません。            

ところが、遙か時が過ぎて明治になってから、日本にやってきた西欧人たちが、日本人の使用人を使っていたところ、
自分たちが休んでいる日曜にも彼らは出てきて仕事をしようとするし、自分たちは別に休みでもない1月と7月の藪入り
には長期間仕事を休んで出てこない、というので、休みの制度は西欧に合わせて欲しいと日本政府に申し入れます。

そこで明治政府は改めて、週の制度にそって労働を行い、日曜日は仕事は休むという制度の導入を宣言しました。
この時結局キリスト教国の制度を導入するという形になったので、キリスト教国と同様に、日本の週は日曜から始まり
土曜で終わることになりました。        

ただし、この制度が実際に運用されていたのはそういう外資系の所くらいで日本全体で週による労働のスケジューリン
グが行われるようになったのは戦後アメリカ主導で、徹底的な日本の西洋化が行われてからのことです。




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