思い込みの話
〜看板編〜



よく国道を走っていると 
○○市街と書いてありますが、
素直な私は漢字には目もくれず 
○○市外、すなわち市街地より離れる、と
言葉だけを信じて思い込んでいました。

幼い頃からなんで人がいないところの看板が出てるのか不思議でしかたがありませんでした。
しかし現在でも市街と聞いてもあまりピンとこないのが実情です。





思い込みの話
〜車編〜



子供の頃、自動車が好きだった僕は3ドアの意味を勘違いして思い込んでいました。
3ドアとは4ドアの1枚開かないタイプの車だと思っていたのです。その頃我が家にはカローラの4ドアセダン
がありましたが、素直な僕は”この車は4枚ともドアが開くタイプなんだな〜”と思い込み、
セリカやシルビアを見ると反対側まで行って 3ドアタイプか確かめていました
(なぜならいっぺんに両方のドアの確認ができないからです)。
その頃パトカーは3枚しかドアが開かないと耳にした事があったので、なんの疑いもなかったのです。

そうこうしてる内に大人になり4輪の免許を取得して しばらくしてから 
ハッチバックという
3枚目のドアの存在をしりました 
衝撃でした 神話が音をたてて崩れたのです・・・・
ショックでした まるで だるまは元々手足があったと聞かされたときと同じ感覚でした。
その時DVDサーチ3のように幼かったときの出来事が思い出されました、そういえばファミリア?
ん?スターレット? あれ??
パトカーは犯人護送の時用に運転席の後側は中から開けられない・・・・・・・・

人生で尚も長かった思い込みに終止符が打たれたのです。


しかし!ある日のこと、スズキ自動車が売り出した軽四輪をみて、我が目を疑いました!!
こ・こ・これは長い間 私を苦しめていた
3ドアタイプのク・ル・マ・!? これだ〜!!(4ドアの一枚開かない タイプ)
その時の気持ちは天下をとった武将 徳川家康と同じ気分だったに違いありません。
まさに片方が開かない3ドアでした。
子供の頃創造していたままの形だったので なんだか とても懐かしい気がしてちょっとだけ、 うるうるしてしまいました。

ちなみに現在私もこだわりの3ドアに乗っています(詳しくは自己紹介ページへどうぞ)。





思い込みの話
〜踏み切り編〜



現在ではコンピューターで制御されてる電車事情ですが、子供の頃、近所の商店街の横にも駅があり
そこにも当然踏み切りがありました。

当時国鉄だった為か踏切には手動で踏み切りを下ろしていたのです
その踏み切りはシャッターのように真上から真下とレールを使い滑車やワイヤーを巧みに利用して構成されていたのです。
子供の頃時間を持て余していた私はそのシステムを1日中見ていました
今考えるとなんで 毎回毎回なんで見てたのかわかりません。
おそらくその頃の体験が私の機械好きに火をつけたのではないかと想像できます。

ある日 国鉄が無くなって民間と同じになると聞き、 幼いながらに”もう国が手助けしなくなるんだ〜”と思ったのを覚えています。
民営化になり 駅の雰囲気が少しづつ変わっていきました。駅のタイルが張り替えられ、トイレも綺麗になりました、
踏み切りも 
近所の人が家の中から閉めれるタイプに変わったのです。
民間だからみんなが助け合わないとダメなんだな〜と思いながら 何処の家の人が閉めてるのか不思議でした。
その踏み切り締め係は ”なんだ思い込みだったのか〜”と 感じる事もせずに 当然のように大人になりました。


ある日、バイク通勤をしていた私は踏み切り事故と遭遇しました ワンマンバスの後部に電車が接触したのです 
バスは30メートルほどひきずられ 看板や踏み切り ATCの制御ボックスまでなぎ倒しました。
ちょうど帰宅途中の会社員や部活帰りの学生 お買い物にきていた主婦たちがいたのでものすごいヤジウマの数でした。
私は事故 直後から見ていたので復旧作業の一部始終をみていました。
その時 幼かった頃の思い出を全て思い出したのです。
新品の踏み切りが運び込まれてきたときワイヤーや滑車などはどこにもありませんでした。
照明の為の発電機の音がうるさい中、私は子供の頃にタイムスリップしていました。 

 そしてヤジウマの人ごみとは逆に帰る私は小声で”やっぱワイヤーは無いよな〜”と 
                                    ふと つぶやいてしまいました。


      なぜだかわからないけど 寂しい気持ちでいっぱいでした。



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