時が過ぎてもの話
〜ラジコン編〜



それはまだ 私がバイク免許取得1年〜2年前の事です。
自宅の横に22mの大きな道路が出来て間もない頃 中学生だった私は当時通行止めになっていた
アスファルト道路で友人達と早朝RCを楽しんでいました。

その頃のRCはフェラーリやブラバム・マルティニといったプラッチックボディーにアルミシャシーだったのを覚えています。
そんななかバギーブームがやってきました。

バギーチャンプが発売されて大いに仲間内でもりあがりました。しかし私はAYKや京商派だったので 
バギーも京商の”スコーピオン”を買ったばかりで毎日遊んでいました。
その頃は6Vバッテリーが支流だったので7.2Vで動くRCはパワフルでとても魅力がありました。
そんな中購入して7週間もたたなかった時のことです 

いつものように22m道路で遊んでいると突然ノーコンになりスコーピオンが全開のまま暴走!!
やや右に曲がりながら真っ直ぐ走っていってしまったのです 
私はギョヘ〜と声を出しながらスコーピオンを追いかけました 
スコーピオンが激突するであろう場所が予測できました 
私は走りながら”こわれないでくれ〜”と心で叫んでいました。 
激突の瞬間、音は聞こえませんでした・・・・そのかわりに”ポチャンッ”っという音が聞こえた瞬間
私は上のまぶたが熱くなりました。 スコーピオンは川に落っこちたのです 
そこはとても流れが速くてスコーピオンの影も形もありませんでした  
落下したであろう場所を見ていて不思議に感じました落ちるような場所には番線が張り巡らしてあり
ジャンプでもしない限り川にはおちないとおもったのです。
私は落ちた瞬間のことを思い出していましたスコーピオンは”スー”っと吸い込まれるように落ちたのです。
10秒後問題は解決しました φ150くらいの杭と杭の間に 
ちょうどスコーピオンが通れる位のすき間があったのです(約300o)、
私はここから??と 杭と杭の間をみながら下の方に目線をずらすと 
リヤを滑らしながら走っていったラジコン特有のタイヤの後がくっきりと残っていました。
”べうぇ〜ん!” 私はためらわずにスコーピオンの回収にのりだしました 
川をみてみるとその場所から川はコンクリートボックスの中へと流れていたのです、
私はその流れていくであろう方向を見てみると そこにはアパートや道路、
マンションや住宅が軒を連ねていたのです。

私は自宅にかえり自転車で探し回りました しかし川そのものの姿が何処にも見当たりませんでした。
私は学校があるので自宅にもどり学校へといそぎました。 
学校についてもスコーピオンの事が気になってしかたがありません 
思わず事務のおばちゃんに聞いてみました。
おばちゃんは”あ〜あの川は途中で2本に分かれて1本は10キロ程下降の多摩川へもう1本はあのまま海じゃないかな?”
といいました。え?え?え? 私はあきらめました。 
まだ10回も遊んでないのにな〜 
学校が終わり家に帰ると充電器と送信機が出迎えてくれました。
私はフッっと おもいました。  あ!コネクター刺さったままだ・・・・・。

きっと20年たった今もスコーピオンは太平洋の海の底にコネクターが刺さったままで眠っています。
もし海で黄色いスコーピオンが見つかった時はそれは私のラジコンです 返してくださいね。

現在その出来事がトラウマになっていて エンジンカーや電動カー、ヘリコプターまでもが
ノーコンになったときは必ずあの時の右に曲がりながら暴走していった衝撃映像がサブリミナルされてよみがえってきます。

信じられない99連発の89あたりです。





時が過ぎてもの話
〜受け継がれる伝統編〜



私がRCを始めたのは 小学3年生の時です 左にしか曲がらないCカーのポルシェでした 
本格的なRCとよべるものは中学校に入ってからです 
オンロードではタミヤのマルティニ(当時6800円のキット)が始めでした。
その頃のRCはシャーシがアルミの打ち抜きでリブなどをつけて強度を出す設計だったのです 
その頃発売されていた値段の高いクラスでもアルミのシャーシでした(フェラーリやブラバム)。
現在では支流になっているFRPのシャーシはオプションとして売られていたのです。 
もちろんFRPのシャーシもオプションで発売されていましたが「高値の花」 中学生に手が届くはずもありません。
 神はそんな私に救いの手を差し伸べてくれました、
自動車が好きだった私は学校から帰ると近くにある国道に掛かる歩道橋の上から自動車を見てました。
RCをしない日は ほとんどと言ってもいいくらい毎日歩道橋にいってたのです。
そんなある日 私は階段にの所に貼ってある防音壁に目が止まりました。
「ん?!これはFRPではないだろうか?RCに・・・・」
私は早速、採集しようと石を探しましたが そこは国道です石なんかある訳がありません 
私はあたりを見回しました すると壊れた傘がありました 「お!これでFRPを!」と思い 
傘で防音壁を壊しました。(皆さん傘でFRPを割った事がないと思いますが 非常に大変です)
なんとかシャーシが作れるほどの大きさを確保して自転車に乗って帰りました。
FRPはさわるのも初めてだったので (扱いがわからなかった私は手に繊維が刺さりまくって痛い思いをした記憶があります)
家に帰り早速 のこぎりで切ってみましたがなかなか切れませんでした。
私は学校の技術室にある【電動糸のこ】を思い出しました。
幸い次の日は技術の授業があったので 休み時間にカットする事にしました。 
予想通りカットは成功してマルティニもFRP仕様車になったのです。
超カッコいいので友達やRCをやってる人に自慢しました FRPの入手経路も教えました。

数年後 私は原チャリで あの歩道橋の横を通りました 
するとバールみたいなものを使い中学生が防音壁を壊しているではありませんか! 
私は ふっとRCに使った事を思い出しました。すぐにUターンして中学生達の近くに行くと 
中学生達は走ってにげましたが 一人が逃げ送れてたので捕まえました。
私は強い口調で「おまえら なにやってんだよ!」と問いただすと
「少しだけFRPがほしくて・・・・・ラジコンに使うんです・・・・・友達から歩道橋の壁がラジコンに使えると聞いたので・・・・・」
とトボトボト話しました どうやら逃げた仲間もRC仲間らしく 同様にFRPを盗りにきたのです。 
そこで歩道橋の防音壁を見てみると 上の方〜に少しだけ残っているだけでした 
私は「誰から聞いたんだよ」と聞くと「先輩に聞きました」と 先輩をかばうそぶりも見せず教えてくれました。  
間違いありません 私の話が伝授され続けていたのです。     
私は罪悪感でいっぱいでした なにしろ私が一番最初に割り 加工し シャーシにしたのですから・・・ 
しかもFRPは盗られ続けた後まであるではありませんか!!  
私は中学生を逃してあげました、帰りがけに「シャーシは学校の糸のこで切るといいぞ〜」と教えてあげました。

ささいな私の自慢話が数年後にまで 引き継がれてるとは夢にも思いませんでした。 
おそらく私がRCを卒業してからも 盗られつづけていたのでしょう。     

子供の頃自動車を見ていた歩道橋はありません、
造成地の隣接する国道だったので現在では片側3車線のマンモス道路です。 
あの場所に歩道橋に思い出が残っているのは 当時自作シャーシを作ったラジコン少年だけでしょう。




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